彼を初めて生で見たのは闘龍門JAPAN2003年2月9日博多スターレーンでした。
当時の自分はWWEみたいな派手な演出のプロレスはアリだけど中途半端な日本のプロレスは無し!
みたいなプロレス観を持っていました。
そんな自分を数少ないプロレスを理解する人間だと思ったのか友人が
闘龍門が面白いんだとTNCの番組を見せて熱心に勧めてくるので
付き合いで観戦することにしたのです。
2002年の横アリ、2003年の代々木とWWF、WWEを生観戦した自分にとって
最初の印象は「正直いって物足りない」というものでした。
今にして思えば体格も、キャリアからくる表現力も違って当然なのですが。
しかしいざ会場で見てみるとWWEで言うTVショーのようなタイトルマッチに向けたマイクアピールや
マグナム率いるDoFixerのダンス、
柵も花道も無いところで間近で見る選手たちに次第に自分のテンションも上がっていきました。
そして迎えたメインイベント、UWA世界6人タッグ選手権
CIMA、ドンフジイ、SUWAvsミラノコレクションAT、ブラザーYASSINI、コンドッティ修司。
当時イタリアンコネクションはミラノ、YOSSINO、ブラザーがメインの3人であり
たまたま当日ウルティモ校長と組んでディファカップ出場のため
欠場のYOSSINOの替わりにコンドッティが入ったこの試合から、
SUWAとの因縁が生まれ現在の近藤修司へと繋がっていく起点の試合です。
CIMA、ミラノのありあまるほどの華、フジイのコミカルでありつつもド迫力なファイト
YASSINIの派手な受身、そしてSUWAとコンドッティの肉弾戦。
SUWAが流血しつつもC−MAXが防衛したこの試合で
自分の上記のような凝り固まった価値観は見事にぶっ壊されました。
その後自分は闘龍門JAPANや元WWEがRO&Dとして猛威を振るっていた全日本と観戦団体を増やしていき
どっぷりとプロレス畑に身を投じて行くことになるのですが、それはまた別のお話。
とにかく自分にとってこの日のUWA世界6人タッグ選手権試合は衝撃的であり
今だに思い出に残る珠玉の名勝負です。
その後ミラノは紆余曲折を経て新日本プロレス内ブランド、レッスルランドに出場。
そこでの棚橋との抗争を経て新日本所属となり、棚橋も現在のキャラクターを確立させていきます。
そんななか多くのプロレスファンはご存知のように、博多での6人タッグマッチに出場した選手が
SUWA、ブラザーと次々と引退していき、今日のミラノで半分が引退。
今でも自分はこの試合に出場した6人はすごくすっごく大好きです。
長州、藤波といった名レスラーが50を過ぎてなお現役であるなか
30前後の彼らが若くして引退していくという現実。
それがいいことなのか悪いことなのかは本人にしかわからないでしょう。
しかしファンとしての気持ちを優先させると残念でしかありません。
ほんの半年前までアポロ55vsユニオーネの連戦を経た名勝負数え歌をやっていたということもあり
今でもミラノ引退という事実を信じたくありません。
しかし今日のセレモニーは間違いなく現実。
今後の照井章仁氏の成功を祈ります。
ハヤブサはもちろん自身も治療して、いつの日か我々ファンの前に現れる日を夢見て。